北に護国寺を従え、南は椿山荘を経て神田川へと緩やかにくだる高台の地、目白台。『グランシーナ目白台』は、この地の恵を象徴する静けさに包まれた住宅地を舞台に誕生します。静穏の地は、目にやさしい緑を抱き潤いながら、整然と佇む街並みを保ち続ける第一種中高層住居専用地域。目白通りから歩を進めると次第に遠ざかる街の喧噪。ここには、都心にいることを忘れさせるかのような平穏があります。

広域図

計画地周辺の航空写真(平成19年5月撮影)にCG加工を施したものです。

高台断面イメージイラスト
中域図
目白通り(現地より約180m/平成19年8月撮影)
『グランシーナ目白台』が誕生する目白台周辺は、「日本女子大学」や「お茶の水女子大学」、「学習院大学」をはじめとした数々の教育施設とともに時を重ねてきました。街並みには風景に秩序を与える凛とした気配が漂い、独自の美意識が映し出されています。この地が描く清楚な佇まいに見え隠れするのは、知性豊かに住文化を育んできた地の歴程。都心の中でも指折りの住宅地は、都心を代表する文教の地として独自の美意識を映し出しています。

護国寺(現地より約810m/平成19年8月撮影)
護国寺は天和元年(1681年)に、徳川五代将軍綱吉が生母桂昌院のために創建した寺院。後に将軍家の祈願寺となり、寺領1200石の大寺として繁栄の時を迎えました。境内には桃山時代書院建築の代表作とされる月光殿を始め、仁王門、薬師堂など、往時を偲ばせる様々な建築物が佇んでいます。また、護国寺門前から江戸川橋へと続く音羽通りは、将軍が護国寺に参拝するための御成道だったと言い伝えられています。都心に残された緑の杜は、今も江戸時代の記憶を抱き穏やかに時を重ね続けています。

椿山荘(現地より約240m/平成19年8月撮影)
椿山荘の建つ地は、かつては椿が自生する景勝の地として知られた場所。江戸時代には、上総久留里藩黒田豊前守の下屋敷として栄え、明治時代には政治家 山縣有朋公が所有した歴史を持ちます。地の雅は、幾重にも重なる緑、そして端正に整えられた庭園などの風情に、時を越えて語り継がれています。

江戸川公園(現地より約600m/平成19年8月撮影)
江戸川公園は、関口台地の南斜面、神田川沿いに広がる自然豊かな公園。池に寄り添う桜の巨木は、公園の名物として親しまれています。満開ともなると幾万もの花びらがあたり一面を覆い尽くし、その景趣には、自然とともに穏やかに暮らした時代の風光明媚を感じることができます。

新江戸川公園(現地より約500m/平成19年8月撮影)
細川家の邸宅跡を公園として受け継いだ新江戸川公園。回遊式泉水庭園ならではの変化に富んだ景観は、訪れる方々に日本伝統の美学を伝え続けています。池を借景として佇む松声閣は、細川家の学問所として大正時代に建てられたもの。そして、冬の訪れを前に、湖畔の松にはわら縄で雪吊りが施されるなど、日本の美をそこかしこで堪能することができます。








